戸建て風呂無し便所無し

不便なくらいが丁度いい事もある

「おおやげ」in津軽

「おおやげ」

青森県で、金持ち・地主など裕福な家の人間に使われる津軽弁

(ゲの発音は鼻濁音ではなく、、ゲームのゲ)

全体の発音としては、「トーマス」「コンドル」的な。

この「おおやげ」という言葉にどれだけ迷惑被ってきたことか。

 

そう言われるだけの立派な家なのでは?

と問われたら、

答えは…

エスと言えば嫌な顔をされ、

ノーと言っても嫌な顔をされる。

謙虚さもイヤミ、居直ってもイヤミである。

もう正解が分からない…😩

なにしろ私自身、その規模なり恩恵なりを一切知らず受けてもおらず、現在は元農家の家に暮らす共稼ぎ夫婦とその家族。

確かに近所の家と比べたら多少敷地が広いが、地価が高いわけでもない。それでも言われる。

欲しいものを買えるほどの収入も無いのに。

これ、全ては当時の、いわゆる戦後の農地改革以前の亡霊の仕業なのだ。

かつての我が家

父はその頃の話をあまりしなかったが、亡くなって新たに知った事実もある。

一言でいえばクルマで5分、自転車なら15分、歩けば40分ほどかかる場所までが我が家の土地だったという。

もう、よく分からない距離。

そりゃ当時の人から見たら「おおやげ」だわな。

戦後、その身分が無くなった途端、ザマァ見ろと我が家に意地悪くする人も随分いたようだ。

そういえば中学生の頃、町の本屋に入ろうとしたら隣の店の知らないおじいちゃんが私の名札(苗字)を見て、「もしもし、…〇〇さんだば、アンタあそこ(地名)の〇〇様ですか?」

え?っと驚きつつハイと答えたら、「やぁやぁやぁこれはこれは」と被ってた毛糸の帽子を取って深々とお辞儀をされ…

なんかザワッとなって帰ってから親に言ったら、「んー、んだ。あそこの人ウチに仕えてたんだぁ」と、サラッと言った😨

そして買い物は弘前市の老舗デパートに帳面にツケで買い物してたそうだ。

これはさすがに羨ましい。

 

たまぁに何処かでこんな話をするとすぐに「はいはい自慢話ですか」といわれる。

自分としては自分の知らない昔の家のビックリ話をしたいだけなのだが😔

 

その「おおやげ」、子供の頃は然程感じなかったが、成長するにつれ言われる事が増え、同時に意識する事が増えた。

例えば学校の友達が初めて我が家に来るとする。

場所が町外れゆえ、そこの親が車に乗せて来る事が多々ある。

着いて、車を降りるなり、

「お〜!おおやげだでばぁ(驚)!」

ほらな、ニガ笑いして聞き流す。

そしてセールス、保険屋、その他家に来た大人(特におじさん)がまた言う。「いやぁ、立派なお宅で〜、おおやげですねぇ!」

うるせぇよ。

迂闊にそんな言葉を使ったらたちまち学のないボンボンだと見られる。

だから丁寧な対応を心がけるよう育てられた。

こうして話してるうちに、どんどんムカムカしてまいりました。

あのね、家がデカいという事は屋根のペンキ代もかかるし、敷地をアスファルト敷にするとまた金掛かる。

そんな話をすれば途端に「贅沢な悩み」と言われる。

仏壇に供えたお菓子類を取りに行こうと、「座敷さ取りに行ってくる」などと言おうものなら、「わぁ、座敷だってよ💦」とからかわれる。

座敷…なんて言うの?仏間?その前の和室を二つ通って仏間に行くワケだし(嫌味?)トータルで座敷でしょ?

「取ってくる」じゃなく、「取りに行ってくる」距離感だし(確信犯)

多分わたしにとっては、どっかの友達あたりが「リビング」とか「キッチンに…」とか言ったら「リビングてっ!💦」「キ、キッチン💦」と思うのと同じなのだろうな。

 

おおやげ…金持ちでもないのに、

おおやげ…土地の管理に追われる。

おおやげ…車庫がはなれてるから、

おおやげ…基本車は雨ざらし

 

もっとあるんだよ、不満も不便も。

 

でもなぁ、1番恥ずかしいのは、

相手がただ社交辞令で褒めてくれてるだけなのに、それを真にうけてニヤニヤ謙遜してしまう事かもね😱

 

やっぱ語らず謙虚に…が正解なのかい?

 

 

 

 

 

名曲と迷曲2

 

80年代に小中高校を過ごした者は、もれなくテレビの歌番組で歌謡曲にまみれ、途中で洋楽に目覚めた者はベストヒットUSAで80sロックやポップスを吸収してきたはず。

私も例に漏れずテレビとラジオから沢山の音楽を吸収し高校ではバンドを組ほどになっていた。

 

そうなると次に来るのはルーツミュージュクへの旅。

好きなバンドのルーツがストーンズとなればストーンズを漁り、そのストーンズはコレを聴いていたとなれば古いブルースを聞き漁り、結局ロバートジョンソンに辿り着き、そこからどういう風に音楽が別れていったのかを辿り聴き漁る。

ブルースからソウル・R&B、ソロギタリストからソロボーカル、名の知れたミュージシャンのCDを片っ端から聴く。

 

当時はネットなんて無いので歌詞なんて分からず、何を歌ってるのか知らない歌でもコレイイネェなどいっちょ前な顔して聴いていたね。

 

その頃たまたま手にとったアルバムが、クラレンス・カーターなるミュージシャン。

男前な歌声で、私が好きなオーティスやウィルソンピケットのようなシャウト系ではなく、もっとゴージャスな歌い上げ系な曲が多い。

声だけならBBキングに近いのかも。

 

いつだったか名前を知ってるってだけでワゴンセールで何枚か買ったCDの中にあったクラレンスカーター。

他にはルーファストーマスとかも買ったような。

 

そんなクラレンスカーターのベスト盤の中にあった曲。

その名も、

 MAKING LOVE (AT THE DARK END OF THE STREET)


www.youtube.com

 

愛し合おう(薄暗い路地裏で)

 

な感じですかね?

コッテコテのラブソングスタイル。

ゆったりとした、演説のようにも聞こえる堂々とした声で詩を読み上げるように始まる…

 

「あれ…ずっと昔にこんな感じの…」

 

さほど時間はかからず思い出したあの曲。

オルガンとハイハットだけの静かな曲調が延々と続き、徐々にもりあがり、最後は思いの丈を捧げるように歌い上げるこの構成はスタンダードな形として他にもあるのだろうけど、私はあの「とも子」に重ねて、勝手にこの曲も名曲に違いない!と思い込むようになっていた。

もっと言えばこのベスト盤で記憶にあるのはこの曲だけだった。

 

時は流れて…

サブスクで世界中の音楽が手に入り、外国の曲でも歌詞を検索すればすぐに翻訳出来る時代になった。

そうだ!あの曲の詞を確かめよう!

きっと涙無くしては語れないようなストーリーがあるはずだ!

 

いざ翻訳。

 

ここで少し時間を取りたいだけです

 

人々がいつも使うのが好きな2つの言葉について話す

 

彼らはいつも愛し合うことについて話します

 

うん、愛しあう

 

しかし、座って考えたことはありますか?

 

その中に人生があるものはすべて、愛し合うのが好きですか?

 

知ってたの?

 

なぜ、馬は愛し合うのが好きなのか

 

牛は愛し合うのが好きです

 

そして、蚊は愛し合うのが好きです

 

そして、人間は愛し合うのが好きです

 

…おや?

ストーリーというより、やはり演説というか講話というか…

博愛精神を推奨するような?

 

まぁいい、サビの部分を見てみよう。

 

そうだね

都会から来たか田舎から来たかは関係ない

私の声を聞いている人の中には

郊外から来た人もいるかもしれない

でも私が知っている最高の場所を

あなたに提案したい

愛し合うために行ける

その場所は

 

 

 

通りの暗い端で

いつもそこで会う

影に隠れて、みんながひとりぼっちになる

暗闇の中で、主よ、ひとりぼっちで生きる

いつか奴らは私たちを見つける

どこかで奴らは私たちを捕まえる

奴らに見つけさせないで

いつか奴らは私たちを見つけるとわかっている

そう長くはかからないかもしれない

私たちが思っているより早いかもしれない

でも奴らは私たちを見つけるとわかっている

通りの暗い端のどこかで

 

お分かりいただけただろうか…

直訳過ぎたせいか私には分からなかった。

そこでこの曲について改めて検索してみる。

 

簡単に言えばこうだ。

 

「どんな動物も愛し合う必要がある。

人間もそうだ。他の場所から来たアナタも私と愛し合うための場所が必要。

暗い道の外れてコッソリと会おう。

しかしその場所も誰かに見つかるかも知れない。そう遠くない時に私達は見つかってしまうだろう…」

 

ん〜と…不倫?

たしかに当時のブルースマンは「女を抱いてナンボ」という事があったようで、映画「クロスロード」の中にも、「ハープが吹けなきゃ女を抱けない」というセリフもあった。

クロスロード (字幕版)

まぁ取りようによってはピープルゲットレディに出てくる聖地ヨルダンへの招待とも取れるけど、暗い道端ってな…

しかもなかなかのエエ声で。


www.youtube.com

 

 

 

 

その時、ふと私の脳内にある大物芸能人が浮かんだ。(⚠️妄想)

「いやぁ可愛いねぇ、ほんとにお前は可愛い。さぁこっちにいらっしゃい、大丈夫大丈夫、あ〜はっはっはっ、何も怖くないよ、ココは本当に素敵な場所なんだよ、だからお前も私と一緒にコチラにいらっしゃい…」

 

 

そうでないことを祈る😓

 

にしても、クラレンスカーター…

調べるとまだご存命の80代!

きっと色々とお元気なのだろう。

名曲と迷曲1

気付けば世間は夏休み真っ只中、7月に書き始めた下書きだけが溜まる一方でなかなか公開に至らず…

なので今回も分割でいこう。

 

 

1980年頃、夏休みの出来事。

 

白いライトバンに家族4人。荷室にはテントや毛布、リンゴ箱に入れたプロパンガスコンロや食器・食材。

車にエアコンなど無い時代、窓からのヌルい風を受け続けながら、海に向けて何もない田んぼ道をひたすら走る。

汗ばんだ腕がビニールレザーの座席に当たって気持ち悪い。

父は当時、カーステレオで石原裕次郎をよく聴いていたのだが、その日はなぜか吉幾三傑作選的なテープが延々と流されていた。

私と姉はもう演歌にもその田舎臭い声にも飽き飽きしていた。

話す事も無くなった頃、突然カセットテープからある曲が流れた。

それは衝撃的な出会いだった。

 

当時10歳の子供心にも切なく、いたたまれない気持ちになった、ある男女の物語。

 

「と・も・子」

🎵

(せりふ)
とも子と二人で暮らしてた頃、ハッピーでナウな日々だった。
“買物に行って来まーす”ってとも子。
“行ってらっしゃい、 気いつけてね”ってわたし。
それっきりかれこれ一年にもなるべか。
買物に行ったきり一年も帰って来ないオナゴって、
どこにいるもんだべか?さみしくて、恋しくて、
とも子のはいてたパンティーいつも頬づりしてるの。

🎵

 

吉幾三の、少し間の抜けた津軽弁の語りで始まるこの曲。

その語り口に、姉もわたしも思わず笑い出す。

「ハッピーーでナウな…」

その当時でも充分ダサい言い回し。

「パンティーに頬ずり…」

げぇ〜気持ち悪い〜と車内はまた盛り上がっていた。

地元青森ではまだまだ「いなかのプレスリー」で売れた異色の演歌歌手という感覚が強く、やっぱコミックソング歌う人なんだなぁ〜くらいに思っていた。

 

語りは続く。

 

その男は「とも子」を探し、やがて見つける…

 

すっかり曲の世界に引き込まれまた車内は静かになる。

 

そして曲はクライマックス、サビの部分へ。


www.youtube.com

 

テレビのバラエティ番組で悪ふざけしてる吉幾三とは違う、歌手・吉幾三を知る人なら説明も要らない名曲。

もしこのブログを見ていただけたら是非聴いていただきたい。

 

実話という話もきくし、その男とは吉幾三本人か?など聴きようによっていろんな解釈ができるだろう。

 

さて、ここからが本題。

 

この名曲に出会った10数年後、二十歳を過ぎた私はまた意外なところで、あるミュージシャンのある曲と出会う。

 

 

 

 

 

 

今年もですか…😩

私が子供の頃、父親は私の同級生数人も一緒に海へキャンプに連れて行ってくれた。

その時の友達は今でも「あのキャンプが忘れられない」「オヤジさんには世話になったよなぁ」と懐かしんでくれる。

そんな経緯もあり、長男が中学校に入ってからは半ば当然のように私も長男の友達を連れてキャンプをしている。

 

(青森・車力漁港マグアビーチ)
(青森・脇元海水浴場)

 

中学2年の時と、高校1、2年の時、同じ地元の友達2人とウチの次男、そうなると私だけでは捌ききれないので妻もサポート参加。💪

総勢6人のキャンプ。受験やら部活やらで結局卒業までに3回しか行けなかったな😓

まぁ行ったところでゴロゴロして海に入ってメシ食って、テントに入ってニンテンドータイム😓

キャンプっぽくこんなの作っても、結局唐揚げ2キロとフライドポテト1キロで満足しちゃうんだよな😩

暗くなったら花火をして寝るだけで、ロクに手伝ってくれる訳でもなく完全なる接待キャンプなのだが、後日それぞれのお宅から「初めてのキャンプで凄く喜んで…」とか、「外で食べるご飯が美味しくて…」とかのお言葉とタップリのビールをお礼に頂くとまぁ悪い気はしないもの。

 

そして思う。 

 

あぁ、高校卒業したし、このキャンプも終了か…でも、この子らがいつかこのキャンプを思い出してくれたら連れてった甲斐があるってもんよ…☺️

 

先日。

県外に行った友達の一人から長男に連絡があり、

「今年もキャンプ行きたいってさ」と。

 

いやいや、君たちも新成人ですし…

それぞれプラン立てて海でも山でも…と言ったところ、

「親と行った方がコスパもタイパもいいし」

だそうだ。

 

でしょうね。

ちゃんとしてらっしゃる…😵‍💫

ようやく分かった😃✨

過去記事のリンクの貼り方が分からなくてなぁ😩

まずはいつものココからだべ?

(いつの間にか読書さま増えてる😶

ありがとうございます。)

 

ここまでは分かる。

で、「記事を書く」でいつもの書き込み画面だ。

でもこのままだと過去記事は貼れないと。

リンクの貼り付けはPCモードの時にしか使えないようで、言われるまま「ぁあ」押してデスクトップ用ナンタラにして、

すると自動で右側がこの画面になるのか!

おぉ、項目いっぱいだな💦

で、そこから選択だな?

この画面だと文字大きくしても見にくいからスマホ画面とデスクトップ画面を切り替えながら作業してもいいんだね?

ついでにアイキャッチ画像の変え方も分かった。

分かってしまえば簡単な事だけど、これで多少見やすくもなったな。

ようやくスムーズに作業出来るようになってきた😙

 

さ、寝よう😵‍💫

 

 

努力の痕跡

長男が私から借りてるギターを持ってきて、チューニングが変だと。

チューナーも渡してるのだが…と思いつつ受け取ると、ネックの裏がガッサガサ😩

 

そうだ、子供の頃から手汗が多くゲームのコントローラーも手垢でガサガサだった。

 

長男は小さいころから体が弱く、1日中外で遊んだ翌日はほぼ体調崩して入院していた。

そして絶望的に運動が苦手。

その分、勉強と脱出ゲームのような謎解きが得意な子になった。

唯一出来たスポーツは五歳から始めた水泳で、成長と共に体力も付き小学校の高学年になると入院する事も無くなった。

 

水泳を選んだ理由

 

私は小さい頃からケガはあれどそれ以外で入院した事は無く、近所に子供が多い時代に育ったので、教わる事もなく遊びを通して体で覚えてきた。

が、唯一苦手なのが水泳で、素潜りでサザエは獲れるが競泳だけは苦手だった。

 

長男からみると、なんでも出来る父に唯一勝てるかもしれないのが水泳!という思いがあったようだ。(妻談)

 

その結果、

水泳だけでなく勉強の方でも私を大きく飛び越えて…😀

 

希望高校へ進学し卒業、今年からは大学へ進学。

軽音的なサークルに入ってギターを始めたらしい。

 

私はむかしバンド活動をしていたので、それなりにギターも数本あり、初心者になら教える事も出来る。

長男の本来の性格ならここはギターを選ばないのだが、元々バンド好きライブ・フェス好きの夫婦の血なのか、ギターを習う事には躊躇せず素直に練習を始めた。

相変わらずの不器用さながらコツコツやっている。

もっとストイックにやりたいのにサークルの仲間のユルさに不満も感じてるらしい。

 

そう、分かるよ。

 

受け取ったギターを改めて見る。

経験者ならそのギターを見ればどれくらい練習してるか分かるんだよ。

黒いボディは指紋と手垢だらけ、ネックの裏は汗が乾いてガッサガサ、弦は錆びてもないのに黒くなって、指板とフレットにも汚れが溜まってくる。

だいぶやってるな。

頑張ってるご褒美にコレを買って帰ろう。

 

全てのギター弾きの味方。

コレ買うの何年ぶりだろうか😅

 

 

 

子供の頃は嫌な思いもしただろうけど、こうして今ようやく息子のチカラになれると思うと嬉しいもんだ。

世間の子らがお父さんとキャッチボールなんかするのを経験せずに育っちゃったもんな😓

 

存分に楽しんでくれ、私も嬉しいよ。

 

一つカチンときたのは、

妻が言う、

「お父さんのギターいっぱい余ってるからどれでも使ったら?」

である😓

余ってる訳ではない。

みんな違ってみんないいギターなのだ。

 

キャンプの原点はココ。

青森県西津軽郡深浦町

この町の漁港を過ぎた先の長い坂道を上ると、右側の海沿いに降りていく細い道がある。

その道の先にあるのが岡崎海岸という海水浴場。

日本海側特有のゴツゴツとした岩場の海水浴場。

ココが私のアナザー…

 

初めて行ったのは1982年の夏休み。

初めてのキャンプ。

 

そしてここが約二十年に渡り、ほぼ毎年訪れる事になる大事な場所となった。

初めは両親と、やがて中学校の同級生、高校の同級生、バンド仲間と、そして仲良くなった女の子と。

とにかく夏になるとココへ行くのが当たり前のようになっていた。

 

ここは潜ればすぐにサザエやウニ・アワビが獲れて、(もちろん当時から違法ではあったのだが)子供らが遊びで獲ってその場で数個食べるぶんには巡回に来た警察官も黙認するくらいの大らかな時代だった。

そんなユルくのどかな80年代。

 

やがて、二つあった海の家的な商店は無くなり、店先にあった涼しい桟敷も無くなり、子供用に作られた海水プールは塗料が剥げ、シャワー等の施設は寂れ。

毎年テントを張っていた場所も長い雑草に埋もれてもう使えなくなっていた。

 

さらにやがて、90年代に入ると、もう一つの道から入れる場所に立派なシャワー室やトイレ、駐車場が新たに作られ、歩道もキレイにアスファルトで整地され再びレジャー客で賑わうようになった。

その頃はさすがに密漁も厳しくなり潜りはしなかったが、私達にとっては相変わらず楽しい海水浴兼キャンプ場だった。

 

そして現在。

 

はて、どうなってるのだろうか。

気になって調べてみるとそれなりに人は来ているようだ。

YouTubeに面白い動画があった。

https://youtu.be/ie7JW7OdfnY?si=6P7p20C0D-yF70ss

 

空から見る懐かしい海。

 

赤い屋根が新しいシャワー施設と、駐車場。

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中央の白い砂利部分がむかしの海水浴場。

遠浅でカニや小魚が獲れる。

歩道沿いにはおじちゃんおばちゃんの店があってかき氷やラーメンも食べられた。

建物がある右側、空き地の部分がテント…

あら?なんかキレイに整地されてるっぽい?

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そしてこの岩場が侵食して出来た狭くて深い場所。

ここがサイコー。

岩の上から飛び込んだり、潜るとウニがビッシリ。

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コンクリートで囲まれた子供用海水プール。あまり行かないのでちょっとアウェイな感じがしたなぁ。

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たしかこの岩の上に小さい鳥居や祠があったような。

それと、ちょっと怖い話があるらしい…

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ん〜、こうして見ていくと色々と思い出すね。

ワクワクも、怖い夜の出来事も、青くさいドキドキも。

 

そうだ、とにかく日本海に沈む夕陽を見るならココ!

沈む瞬間、『ジュッ』って音が鳴るとか鳴らないとか。

 

ホント、今はどうなってるんだろうか。

山は猿と熊だらけだし、今年はココに行ってみようか🤔