兄の背中、追うか…蹴飛ばすか…2
「同じ轍は踏まない」
現在小学校六年生の次男。
この次男、兄とは全く違うタイプ。
いつも笑顔、気遣い、観察眼、吸収力、器用さ。
よくいわれる次男の性格のとおり、全てにおいて兄の上を行く。
いわゆる長男を見て育つ次男気質。
その上で応用力も高い。
こちらが何か言うとスグにその少し上で返してくるレスポンスの良さ。ツッコミ気質でもある。
YouTubeのせい(おかげ?)で様々な慣用句を間違えもありつつどんどん使って表現の幅を増やしている。
まぁよく喋る。本当によく喋る。
1分黙ってみなさいと言われ、泣いてしまうほどの喋りたがり。
クルマに乗っている時も、たまたま誰も喋ってないタイミングでその空間が耐えられず話し始める。
そこも場を盛り上げようとする気遣いなのだろう。
今年の春、そんな次男に自転車キャンプの話をした。
そもそもキャンプ好きなので即決定なのだが、
兄のお下がりの自転車はだいぶ古くなっていたので、「新しい自転車の方が良くないか?」と言うと、
「いや、コレでイイ」
と言う。
口には出さないが、兄がコレで行ったなら余計なハンデは要らぬ!という事らしい。
更に、「今回お母さん居ないから2人だけだよ?」と言っても、
「全然、問題ない」
だそうだ。
おかげで今回、キャンプ道具は全て私のクロスバイクに積載となった😩


そしていざ出発。
10月に入り涼しくなった青森だが、この日は爽やかな秋晴れ。もちろん道中はずっとYouTubeで見た動画の話、お笑い番組で見たネタの話、学校の話、自転車の疲れより喋り疲れで自販機に寄る始末😂
キャンプ場到着後は、慣れた感じで設営の手伝い。この辺も長男と違い、「コレどうする?」と積極的に準備を進める。
2日目は荷物を全て妻車に預けて自転車のみで出発🚲
道中、
「でさ、あの漫画は…」
と言いかけて、
「あれ?なんでオレ知ってるんだけっけ?…あ、◯◯の部屋で呼んだからか💦」
オイオイ、バレたら怒られるぞ💦

無事ケーキを買い、何事もなく自転車キャンプは終わったのだが、終わってみて思ったのは、割と兄という存在を意識してたんだなぁということ。
ゲームは貸さないし、ご飯食べてても話しかける事も無い兄だけど、自転車の部分はとにかく兄に負けないように、なるべく平気な顔していたように感じた。
「前に来た時、この辺は降りて歩いたよ
〜」
とか言うと、
「はぁ〜?全然平気なんだけど〜」
と言う。
基本ナメてるのがこの次男らしい😂
見てないようでちゃんと見てるし、兄の真似したいより、その上を行きたいんだな。
ただ、兄が居ない間に部屋に入ってジャンプ読んだりしてるのは辞めた方がいい。😓
兄の背中、追うか…蹴飛ばすか…1
我が家の2人の息子、学年で7つ違うので同時期に同じ学校にいた事も無く,家にいてもよその兄弟のように一緒に遊ぶ事も無い。
兄から見たら7つ下のチビなんてダルいのだ。
なので仲が悪いほど嫌ってもないが、一緒に遊ぶことも無いまま弟は六年生になった。
一緒に遊ばないのは親の育て方が悪いんじゃないの〜?とも言われそうだが、一緒に遊ばない事で何か問題ありますかね?
育て方より育ち方だと思っているので、お兄ちゃんはこうなのに…とか比較せず、2回子育てする感覚で2人とも別々ながら同じようにやってきた。
この長男、運動苦手で無口で人に興味がない。
三半規管が弱くトランポリンで酔ってしまう。
理論派というか堅実というか、私のようなバカみたいな遊びにはあまり興味無く、本好き・勉強好きな妻に似たようだ。
家でも最低限の会話しかしないので大人しく見えるが、何故か学校では先生の評判も良くちゃんと友達もいるし成績も悪くない。
親が知らないだけでちゃんとしてるらしいが、ただ一点、人より抜きん出た部分がない事を本人も気にしていた。
そこで、
「自転車で日本一周」
とまではいかないが、車で50分程度の場所にある祖父母の家まで自転車で行ってみよう!と誘ってみた。
もちろん私も自転車。
彼の体力の事もあるので途中にあるキャンプ場で一泊して。(一般の目で見れば甘々なプラン)
そこで妻とまだ小さかった次男も合理して家族キャンプしながら一泊となる。


正直、やったからと言って皆が尊敬する訳でもなく、何故わざわざ自転車?と笑う者もいるだろう。
まぁ私も小学校の思い出作り程度でも構わないと思っていた。
無言でひたすら田舎道を走り、それでも何かを成し遂げようとした長男が、キツい坂道の途中で小さな声ながら
「これで…自慢出来る!」
と言うのを聞いた時は、さすがにグッときてついついニヤッとしてしまったな。
なんだよ、ちゃんと負けん気あるんじゃん😏


長く緩い坂道がどんどん体力を奪って、鯵ヶ沢町の入り口でとうとう自転車を降りたけど、鯵ヶ沢を目指す事、それが当たり前のように辞めたいとも言わず走り続けた。
小さい頃に自分も住んでいたこの町の、友達の家や小学校を思い出すように走りながら家を目指し、近くのスーパーでケーキを買って無事にミッションクリアとなった。


それから7年、今年次男がまた同じ旅に出る。
近くて遠い下北半島
今週のお題「ちょっとした夢」
夢といえば大袈裟だけど、じゃあ今度の日曜日にでも行こうか?と言われたら津軽方面に住む私にはちょっとメンドクサイ場所。
メンドクサイは失礼だな。
決して嫌ではないけど、せっかく行くならちゃんと行きたい場所。
下北半島。

もうずいぶん前、まだ二十代の頃に当時のバンド仲間と一泊旅行をした事があって、それこそ横浜町の菜の花畑を通りむつに入り、時計回りにぐるっと一周、仏ヶ浦も恐山も薬研温泉も大間も尻屋崎も寒立馬も、ゴールデンウィークの好天のもと観光名所といわれる場所はほぼ周れた。
もうその時から「次はテント積んでキャンプしながら」という想いがずっと頭の中にあった。
ここ最近はYouTubeでそんな旅をしてる人の動画ばかり見ている。
もはや友人と一緒はスケジュール合わせが大変だし、家族で行くとなるとまだ子供達には早いな。
やはり一人で、テント持ってゆっくり2泊、せめて1泊しながら絶景と秘境、マグロ、酒、帰りに寒立馬に会いに行きたい。
ちょす。ちょしまくる。
『ちょす』
イジる・触る。
また、他にはヒトをからかうイジりにも使われる。
思えば子供の頃からオモチャを分解するのが好きだった。
せっかく買ってもらったオモチャをバラしてはまた組み立て、なぜかネジが余る…
そんな繰り返しの子供時代だったが、お陰様で道具や工具の扱いとモノの構造の理解は割と早く身についたほうだろう。
ドライバーセットから電動ドライバーになり、インパクトドライバー、丸鋸、トリマー、ジグソー、どんどん道具が揃っていき気づけば身の回りの事はなんとかなるレベルになってたり。
とはいえ工芸レベルでもなく、商売になるレベルでもないただの日曜大工。
もっと悪いのは途中で飽きちゃうというか、別に商売でもないしそこまでしなくても…と思ってしまう事。
なので家族もさほど興味がなく、私が小屋に篭って何かしらしてると
「また何かちょしてる」
「今度は何ちょしてらの?」
となる。
miyamoto47notv-noradio.hatenablog.com
そんな日々の中でふと気づいたのは、作る事や直す事以上に、どうしたらもっと使いやすくなるかを考えてる時間、没頭してる時間が好きだという事。
ここ数年でいうとキャンプ用品の加工だろうか。
キャンパーの中にはそういう人が多い気もする。
買ったままじゃなく自分が使いやすいように
ちょっとした加工をする。
それこそ痒い所に…的なニッチな工作だ。
需要があるかは分からないけど完成ついでにSNSにあげると稀に反応があるのが面白い。
興味無い人には全く響かないだろうな。
でもそれは格段に使いやすくなっている。


キャンプ場でいつも転がるって落ちる箸に輪っかを付けて菜箸のように。
コレは良かった。
同じモンベルの箸を使ってる友人にあげたら喜んで使ってくれてるのも嬉しい。




3枚入り数百円、中国製のチタン風防。
2枚だけで組むとエバニューのアルコールストーブにピッタリだったので穴を開けて燃焼効率を上げてみた。
雪かきの合間に外でコーヒー。
風防兼ゴトクとして充分使えるレベルに。





最近の上出来といえばこれ。
百均にあるクッカーのリフター。
小型のクッカーに収めるために短くする人は割と多いけど、手を離すとバネで開いてしまうので固定する方法を色々考え、昔のアルミ容器のロックの様なカタチにしてみた。

結果バッチリ。
やはり使い慣れた仕事道具だと仕上がりにも差が出てくる。
とはいえ…
とはいえだよ。
家の片付けに追われ子供の行事事追われ、キャンプもまともに行ってないのが現状。こんなことで気を紛らわせるにも限界がある。
季節はいよいよ10月、そろそろ荷造りだけでもしておこう。
ちょっと覗いてみた、1980年代の夏
今週のお題「夏の思い出」
一日はラジオ体操から始まる。
それが終わると帰って朝飯なのだが、その前に近所の友達とその日のスケジュールを教え合う。
スケジュールといってもまぁ…
クワガタ捕り、終われば近くのお宮の境内で野球遊び。そのお宮の裏には図書館がある。
〇〇カメラ、◯◯通信、劇画ナンタラ、誰が持ち込んだかも分からないブヨブヨに膨らんだ本たち。
昼飯を食べに帰ったらまた野球。
すると突然の夕立。
アスファルトのニオイにむせる。
でも嫌いじゃないあのニオイ。
そういえば、昔のアスファルトは30度近くなると柔らかくなって、アイスの棒でほじくれるほど。
歩くと靴底の型がつく。
転んでズボンに黒い汚れが着いたらもう取れやしない。
喉が乾いたら近所の店に行って、外の自販機で瓶のコーラを引っこ抜くのだが、何とかして2本取れないもんかと日々格闘。
小遣いが少し足りなかった子は、店の外に積んであるケースから空き瓶をひとつ抜いて10円を作り出す(御法度)
やる事もなくただゴロゴロしてる日もある。
少しすずしくて気づくと…6時?
朝?夕方?
急いでラジオ体操のカードを持って外へ出ると太陽は西側の岩木山の方だったり。
いま思い出すと、ドラマや映画で見るランニングシャツで走り回る昭和の子供と大差ない田舎の子供たちだね。
時が経ち、僕たちの暮らしは少しだけ忙しくなる。
部活動、自転車で隣町まで遠出、好きな女の子、嫌いな先生。
汗だくな時間、そしてそれ以上の時間を語り合う事に費やした。
少し前までよく遊んでいた友達、気づけばもうずいぶん会わなくなってて、たまにすれ違ってもなんて言えばいいのか…結局じゃあなって。
相変わらず日本むかし話は観てて。2話目にゾッとしたり。
クイズダービーのうちに風呂入って、あとはドリフ見ながら志村と一緒にスイカ早食いしたんだ。
もう何度目の夏休みだろう。
好きなのかどうなのかも分からず付き合ってる感じになった女の子といる所を冷やかされたり、どっちかの家に行けばいいのに何やかんや言われるの嫌だからずっと空き地でお互い自転車に跨ったまま何時間も話たり。
私服で会う気恥ずかしさ。
僕のダサいTシャツ、彼女の変な服。
ざっくりとした服だと時々下着が見えて、見たのがバレそうで、目を逸らすけど、また見てしまった。まぁそういうお年頃だ。
あの時の彼女、お互い50過ぎた今も盆や正月になると近所のスーパーあたりでバッタリ会ったり。
これも田舎あるあるだな。
はたしてうちの子らは…
少子化、ネットゲーム、そしてコロナ…
貴重な子供時代、中高時代、どう過ごしていたのだろう。
私たちの時代を「いい時代」と美化つもりは無い。
彼らには彼らの夏休みがあるのだろう。
違う時代、違うカタチ、違う価値観で、親が知らないところで色々と経験している事を祈る。
変わった事・変わらなかった事
〇〇が亡くなって、はや◯年…
という書き出しをよく見かける。
我が家の場合だと、
父が亡くなって、はや8ヶ月。
ん?
まだ一年も経ってないのか😓
この8ヶ月の忙しさ、なかなかのもんだったもんな。
数年前…
地元でちょっとした集まりがあった後、その流れで数人と飲みに出た。
ふと見ると、私以外の3人は私より歳下だが皆既に父親を亡くしていた。
ちょうど父に痴呆が出て来た時期、今後の生活について考えていた私は、その3人に父親がいないってのはどんな感じかをきいてみた。
「ん〜〜…」×3
「ま、大して変わらねぇな…」×3
まぁ確かに40過ぎのいい歳して悲しいだの何だのの泣き言は出ないだろう。
しかもその3人は皆、農家の跡継ぎとしてリンゴ作りをしているので特に変わった事もなくいつも通りに仕事をしているようだ。
「ただなぁ…役場だの銀行の名義変更だの書き換えだの、あれはやっといた方がいいやな」
「おー助かる💦そういうのください🥹」
そのあたりからチョコチョコと手続きをはじめ、各種支払い関係や名義変更をした。
内心、死んでもいないのに早くないか?という気持ちにもなったが、残すところ父親の預金口座のみ。
そこから引き落とされる物は全て私の方に変更していて、入ってくるのは年金や何かしらの手当くらい。
高額ではないが生きていればまだ入る、死んでしまえば引き出しが困難と聞く。
下衆な話だがお金は大事なのだ。
そして今年一月、入院先からの電話。
ちょっと危ないのでまず一度顔出してくださいと。
私は職場から、母は近所の友人のクルマに乗せてもらって病院へ。
自発呼吸は出来ずチューブが入った状態だったが、何とか落ち着き先生からも一晩は大丈夫でしょうという事で一旦病院を離れた。
後で母から聞いた話
私は一旦職場に戻り、一応何があっても良いように事情を話し、後片付けをしていた。
そして、よし片付いた!と思った所で病院から亡くなったとの電話が。
午後3時だったかな?
すぐに母に電話をして伝えた。
その日のうちに処置やら退院手続きとなり、その時に母から、「病院の帰りにさ、◯◯(友達)さ言われてお父さんの口座のお金引き出してきたの。」
と言われた。
まさかこんな事になるとは…とも言っていたが、終わってみれば良い判断だった。
銀行に行ってた時間は、病院から電話が来る少し前だった。
何事もキッチリしいな父親の事だ。
母がちゃんと口座片付けたのを確認して逝ったのかもな😓
そして季節は春
滞りなく納骨まで終わり、長男は大学へ入り、次男は念願のディズニーランドへの家族旅行、その他猛暑に備えエアコンを増設…他にも色々と金がかかったが、とりあえず今までどおりに過ごせてはいる。
これがもし、父親が生きていれば毎月毎月10数万の支払いに追われ、ひょっとしたら事前に決まってたディズニーランドも諦めなければならなかったかも知れない。
露骨な言い方になる。
決して「死んでくれてありがとう」という事ではない。
決してそういう事ではない。
が、もしまだ生きていたら…
と今も思う。
いや現にそういう暮らしをしてる家族は少なくないだろう。
こうしてまた動き出した我が家。
あの時、彼らに言われたとおり、日々の生活は何も変わってないのかも知れない。
変わった事があるかといえば。
父に代わり私がやっていた家周りの雑用や庭木の世話を息子達も手伝うようになった。
ジッチャが居ない家での自分たちの役回りが分かってきたのか…
それともお小遣いが欲しいだけか…
いずれにせよ皆んなの意識は変わったな。
そういえば、夜に仏間に行くのを怖がってた次男、そこに居るのは知らない故人じゃなくジッチャだと思うようにしたのか全く怖がらなくなったな😂
父もきっと喜んでる事だろう。
「おおやげ」in津軽
「おおやげ」
(ゲの発音は鼻濁音ではなく、、ゲームのゲ)
全体の発音としては、「トーマス」「コンドル」的な。
この「おおやげ」という言葉にどれだけ迷惑被ってきたことか。
そう言われるだけの立派な家なのでは?
と問われたら、
答えは…
イエスと言えば嫌な顔をされ、
ノーと言っても嫌な顔をされる。
謙虚さもイヤミ、居直ってもイヤミである。
もう正解が分からない…😩
なにしろ私自身、その規模なり恩恵なりを一切知らず受けてもおらず、現在は元農家の家に暮らす共稼ぎ夫婦とその家族。
確かに近所の家と比べたら多少敷地が広いが、地価が高いわけでもない。それでも言われる。
欲しいものを買えるほどの収入も無いのに。
これ、全ては当時の、いわゆる戦後の農地改革以前の亡霊の仕業なのだ。
かつての我が家
父はその頃の話をあまりしなかったが、亡くなって新たに知った事実もある。
一言でいえばクルマで5分、自転車なら15分、歩けば40分ほどかかる場所までが我が家の土地だったという。
もう、よく分からない距離。
そりゃ当時の人から見たら「おおやげ」だわな。
戦後、その身分が無くなった途端、ザマァ見ろと我が家に意地悪くする人も随分いたようだ。
そういえば中学生の頃、町の本屋に入ろうとしたら隣の店の知らないおじいちゃんが私の名札(苗字)を見て、「もしもし、…〇〇さんだば、アンタあそこ(地名)の〇〇様ですか?」
え?っと驚きつつハイと答えたら、「やぁやぁやぁこれはこれは」と被ってた毛糸の帽子を取って深々とお辞儀をされ…
なんかザワッとなって帰ってから親に言ったら、「んー、んだ。あそこの人ウチに仕えてたんだぁ」と、サラッと言った😨
そして買い物は弘前市の老舗デパートに帳面にツケで買い物してたそうだ。
これはさすがに羨ましい。
たまぁに何処かでこんな話をするとすぐに「はいはい自慢話ですか」といわれる。
自分としては自分の知らない昔の家のビックリ話をしたいだけなのだが😔
その「おおやげ」、子供の頃は然程感じなかったが、成長するにつれ言われる事が増え、同時に意識する事が増えた。
例えば学校の友達が初めて我が家に来るとする。
場所が町外れゆえ、そこの親が車に乗せて来る事が多々ある。
着いて、車を降りるなり、
「お〜!おおやげだでばぁ(驚)!」
ほらな、ニガ笑いして聞き流す。
そしてセールス、保険屋、その他家に来た大人(特におじさん)がまた言う。「いやぁ、立派なお宅で〜、おおやげですねぇ!」
うるせぇよ。
迂闊にそんな言葉を使ったらたちまち学のないボンボンだと見られる。
だから丁寧な対応を心がけるよう育てられた。
こうして話してるうちに、どんどんムカムカしてまいりました。
あのね、家がデカいという事は屋根のペンキ代もかかるし、敷地をアスファルト敷にするとまた金掛かる。
そんな話をすれば途端に「贅沢な悩み」と言われる。
仏壇に供えたお菓子類を取りに行こうと、「座敷さ取りに行ってくる」などと言おうものなら、「わぁ、座敷だってよ💦」とからかわれる。
座敷…なんて言うの?仏間?その前の和室を二つ通って仏間に行くワケだし(嫌味?)トータルで座敷でしょ?
「取ってくる」じゃなく、「取りに行ってくる」距離感だし(確信犯)
多分わたしにとっては、どっかの友達あたりが「リビング」とか「キッチンに…」とか言ったら「リビングてっ!💦」「キ、キッチン💦」と思うのと同じなのだろうな。
おおやげ…金持ちでもないのに、
おおやげ…土地の管理に追われる。
おおやげ…車庫がはなれてるから、
おおやげ…基本車は雨ざらし。
もっとあるんだよ、不満も不便も。
でもなぁ、1番恥ずかしいのは、
相手がただ社交辞令で褒めてくれてるだけなのに、それを真にうけてニヤニヤ謙遜してしまう事かもね😱
やっぱ語らず謙虚に…が正解なのかい?